2013年07月30日

「東京大空襲なんて初めて知りました」『137億年の物語』著者インタビュー/日経ビジネスonline

「東京大空襲なんて初めて知りました」『137億年の物語』著者、クリストファー・ロイド氏インタビュー
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130724/251502/?P=2&nextArw

子供たちを自宅で自ら教育したことをきっかけに、科学的視点と歴史的視点から地球に起こったことを「物語」にした『137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史(原題:What on earth happened?)』(文芸春秋)がヒットした英国人科学ジャーナリストで、起業家でもあるクリストファー・ロイド氏。著作は、地上で起こったことの世界中の歴史が、時系列で俯瞰的に楽しめるのが大きな特徴だ。このほど来日したロイド氏に、そもそも本を書いて出版しようと思った経緯や、歴史を「鎖国的」に学ぶのではなくグローバルに学ぶことの重要性について、詳しく話を聞いた。

(聞き手は広野 彩子)

来日した時にブログで「東京大空襲を初めて知って大きなショックだった」と書いておられましたね。

ロイド:そうなんですよ。江戸東京博物館に行って、東京大空襲について初めて知ったんです。1945年3月10日夜、米軍のB29爆撃機が東京に焼夷弾を落として焼きつくし、10万人以上の人をたった一晩のうちに殺戮したという史実です。広島、長崎の原爆投下で当日亡くなったとされる人数にも匹敵するではないですか。本当にショックでした。

日本人なら大体、学校で習って知っていることです。

ロイド:でも、海外の人間は恐らく誰も知らないんですよ。日本人以外は。これほどのひどい大量殺戮を。信じられない。こんなことってありますか。

そういえば2003年に米国留学していた時、同級生だった米国人外交官らと、後にアカデミー賞を受賞したロバート・マクナマラ元国防長官の独白映画「フォグ・オブ・ウォー」を一緒に見ました。そこで映像とともに東京大空襲について振り返るシーンがありますが、彼女は東京大空襲の史実を全く知らず、こんな重大な事実を学校で全く習わなかった、と大きなショックを受けていました。米国でも、それは同じようです。

ロイド:私がこの史実を知らなかったことを本当に申し訳なく思います。英国にとっても知るべき、西洋の重大な歴史の一部ではないですか。全員が知るべきです。特に、『137億年の物語』みたいな、世界中の歴史と科学を扱う本を書いた私のような人間は、知っているべき史実でした。

ぜひ、英語圏の方たちに発信してください。

ロイド:もちろんです、ブログでも発信しています。実は、このようなことが世界中にあるのですよ。たとえば1840年から、植民地だったインド産アヘンの対中輸出による三角貿易をめぐる問題で清と大英帝国が戦い、大英帝国が勝ったアヘン戦争です。英国の学校の生徒たちは、アヘン戦争については何も学ばずに育ちます。

そうなんですか? 少なくとも日本人は、世界史などで習いますよ。

ロイド:嘆かわしいことです。言論の自由だ、などと言っておきながらやっていることと言えば。でも事実なんです。今も英国では、歴史でアヘン戦争を教えていません。一方、中国人は歴史をどうやって学ぶかご存知ですか。中国人から聞いたんですが、中国はまずアヘン戦争から教わります。敗戦で結んだ南京条約により清は、香港を大英帝国に譲り、賠償金を払い、それまで拒んでいた自由貿易を認めざるを得なくなった。重要な史実です。

 すると、たとえば45歳ぐらいの、私ぐらいの年齢の英国人と中国人が一緒にビジネスをしようとしたとき、どんなことが起こるでしょう。一方はアヘン戦争についてしっかり学び、記憶に刻まれている。一方は聞いたこともない。すると潜在的にある感情が分からないので、互いを本当に理解し合おうと思っても難しい。互いに理解し合えない原因が、そういった根本的なところにある。

 これは本当に大切なことだと思いませんか。日本と中国も同様でしょう。互いに教わっていない史実があることでしょう。それを理解し、根気強く対話することが重要だと思います。



posted by あがさ at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月28日

イスラエルの英雄もプーチン大統領も感激「浜寺捕虜収容所」 世界一の好待遇が示す史実

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130727/wlf13072718000023-n1.htm

イスラエルの英雄もプーチン大統領も感激「浜寺捕虜収容所」 世界一の好待遇が示す史実   2013.7.27 18:00 (1/3ページ)

・大久保利通卿も愛した日本初の公立公園

 かつて大阪の人々は夏になると、南部の堺市から高石市にかけての海岸に海水浴に出かけた。歌枕の地で高師浜(たかしのはま)と呼ばれ、古くから白砂青松の景勝で知られた。

 明治になって新田開発が計画された。明治6(1873)年、たまたま訪れた大久保利通が、伐採される松林を惜しんで、 「音に聞く高師の浜のはま松も 世のあだ波は のがれざりけり」 と詠んだ。内務卿の一声で計画は中止となり、一帯はわが国初の公立公園に指定された。浜寺公園である。

 大正から昭和にかけて「東洋一の海水浴場」のにぎわいをみせたという。人気の別荘地でもあった。しかし、戦後の高度経済成長の時代に沖合を埋め立てて泉北臨海工業地帯が造成され、松林はそのままだが、今はもう海水浴客の姿はない。

・温暖で風光明媚な村に、人口8倍の捕虜が

 南海高師浜駅の駅前に「浜寺俘虜(捕虜)収容所跡」のレリーフがある。日露戦争で捕虜になったロシア兵の収容所がここにあった。現在は住宅街になっているが、碁盤の目のように整然と区画された道路は収容所の名残である。

 明治37(1904)年2月から1年半に及んだ日露戦争では、約8万人の捕虜が日本に送られた。うち最大時には2万8000人が浜寺に収容された。当時の高石村の人口は約3500人だから、地元はさぞ驚天動地だったろう。

 この地が選ばれたのは、陸軍第4師団の司令部が大阪に置かれていたのに加えて、戦時には似つかわしくないが、気候温暖、風光明媚(めいび)が決め手になったという。

 さかのぼる1899年、日本も参加してオランダ・ハーグで第1回万国平和会議が開かれ、捕虜、傷病者に対する人道的な扱いが定められた。日露戦争は会議後初めての大規模戦争であり、国際的に注視された。一等国の仲間入りをめざす日本は、とりわけ捕虜の待遇に気を遣った。

・動員2万人し突貫工事、電灯も完備

 当初は次々に送られてくる捕虜をテントに収容したが、2万人近い大工や作業員を動員して突貫工事で居住棟を建てた。診療所、礼拝堂、パン工場などが設けられ、日本語教室も開かれた。まだ一般家庭に電気が行き届いていない時代に、収容所内ではどこも電灯がついた。

 収容者には運動のために外出も許可され、毎朝隊列を組んで出かけ、夕方に戻った。地元の住民との交流もあり、親しくなって家に招待される捕虜もいたという。

 負傷者のために皇后陛下から義手、義足、義眼が贈られ、ロシア政府からは同盟国だったフランスを介して手当金が支給された。

 明治39(1906)年2月までに全員がロシアへ送還されたが、収容中に亡くなった89人は共同墓地に手厚く葬られた。

 余話もある。捕虜の中に「イスラエル建国の英雄」と呼ばれるユダヤ人のヨセフ・トランペルドールがいた。彼は親切な扱いに感激し、日本のような小さな国がどうして大国ロシアに勝てたのかと考え、「日本を手本としたユダヤ人国家を建設する」と誓った。

 やがてパレスチナへ渡り、建国闘争で銃弾に倒れるが、「国のために死ぬほどの名誉はない」と言って息を引き取った。これも日本兵から教えられた言葉だった。

 浜寺公園の一角に「日露友好之像」が建っている。平成14(2002)年5月に建立され、碑文には「ロシアの勇猛果敢なる子が永遠に人々の記憶にとどまらんことを!」。当時の小泉純一郎首相、プーチン大統領が署名している。

自虐的に歴史を振り返り、隣国から要求されるまま謝罪を繰り返すより、わずか100年ほど前に、世界に称賛され、胸を張れる史実があったことを覚えておきたい。


 そして日本人としての誇りをこそ、子供たちに伝えたい、教えたい。

(鹿間孝一)
posted by あがさ at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月07日

【米国】 歴史歪曲「ヨーコの話」米国の学校教材採択また増加〜日本が採択するようロビー活動?★



【ニューヨーク=ニューシス】「私たちの関心が弱まっている間、再びヨーコの話を採択する米国学校が増えています。」日本の韓半島強制占領期、日本人を加害者でなく被害者に変身させた‘ヨーコの話’が米国の小中学校で教材として再び採択され緊急対策が必要とされる。

ニューイングランド韓国学校のナム・イル校長は30日、ニューシスとのインタビューでボストンをはじめとするマサチューセッツ地域をはじめ、多くの学校が排除したヨーコの話を教材としてまた採択していると伝えた。

これと関連、1日ニューイングランド韓国学校で‘ヨーコの話排除運動’で良く知られたアグネス・アン博士とシーラ・チョン氏を招いた父兄講演会が開かれた。この日、ニューイングランド韓国学校が位置するマサチューセッツ・ニュートンは雪が降ったが2百人余りの父兄が参加した。

ヨーコの話は原題が‘So Far from the Bamboo Grove’で日系米国人ヨーコ・カワシマ・ワトキンスが1986年出版した自伝的小説だ。日本人少女と家族が日帝崩壊後、韓半島を離れる過程を描きながら朝鮮人らが日本の婦女子に強姦と暴力を日常的に行ったなど日本人を被害者、韓国人を加害者として描写した内容を含んでいる。

十一才少女の目から書かれたこの本はドラマチックな要素もあり米国の多くの学校で英語の読み取り教材として先を争って採択された。この問題が明らかになったきっかけはボストンで産婦人科医のアグネス・アン博士が2006年のある日、学校に通っていた息子が泣きながら「なぜ韓国人は日本人にそんなに悪いことをたくさんしたの?」と話したことだった。びっくりしたアン博士は‘ヨーコの話’を読んでみてこの本があまりにも多くの虚構と偽りからなる内容を含むことを知った。

この問題に共感した父兄のシーラ・チャン氏とともにヨーコの話の問題点を広報し同意を集めた。ほぼ同時期、ニューヨークの学校で‘ヨーコの話’を習うことに抗議し授業を拒否したホ・ボウン・ヤンさんが大きな話題を集め、ホさんの母親もアン博士などと連絡をとって集まり、「正しいアジア歴史教育のための父兄会(Parents For an Accurate Asian History Education)」を結成した。

アグネス・アン博士は小説の中に描写された内容と歴史的事実を比較する資料をハーバード大図書館などで探し、さらに日本、中国まで行くなどヨーコの話の排斥戦士になった。米国生まれの三世で韓国語はほとんどできなかったが、アン博士は三一運動の時、ユ・クァンスン烈士とともに万歳運動を行なって投獄された独立活動家オ・ジョンファ先生の孫娘という自負心があった。

ニューイングランド韓国学校での講演会を始まりに、近隣学校関係者と主流メディアを相手にヨーコの話の問題点を知らせながら教材採択を取り消す学校が急激に増えた。ニューイングランド韓国学校のナム・イル校長は「太平洋戦争を起こした戦犯国家、日本が原子爆弾を受けたことばかり強調して被害者であるかのように話すが、ヨーコの話は虚構を事実のように描写して加害者日本人を被害者に変身させたことでより大きな問題がある」と指摘する。

特に彼は「韓国と日本の歴史を知らない米国の小学生と中学生がヨーコの話を通じて加害者日本人に同情して被害者韓国人を悪い人と認識することになる。米国学校に通う私たちの2世、3世も母国を恥ずかしく思って子供たちの冷やかしにあうあきれた体験をしている」と声を高めた。

ヨーコの話の著者ヨーコ・ワトキンス(83)はマサチューセッツに居住し多くの学校を回って招請講演をしているという。読み取り教材の著者が直接学校で講演するだけに子供たちと教師父兄らはヨーコの話を事実と信じて‘親日反韓’のイメージを持つということだ。

日本は政府次元で各級学校にヨーコの話を無償支援して特にヨーコの話が問題になった後から、これをまた採択するようロビーも展開したと伝えられた。ヨーコの話はソウルの外国人学校など米国以外の地域でも英語教材として使われ2007年にはある国内出版社が翻訳出版するあきれる事件も発生した。中国の場合、自国を描写した内容でないにもかかわらず‘ヨーコの話’を禁止図書に分類している。

一方、1日講演会に参加したウェルスリー公立学校のケイト・コネン(Kate Connghan)先生は「ウェルスリー公立学校は過去15年間、ヨーコの話を6学年読み取り教材で活用したが去年から推薦教材から完全に除外させた」と話して大きな拍手を受けた。

ナム・イル校長は「アグネス・アン博士をはじめとする有志の方々が努力しているが、少数の力では限界がある。米国はもちろん、全韓人社会が英語教材の内容に関心を持ち、ヨーコの話の完全排除のために努力しなければならないだろう」と強調した。

ノ・チャンヒョン特派員

ソース:中央日報(韓国語) 歴史歪曲‘ヨーコの話’米学校教材採択また増えて
http://joongang.joinsmsn.com/article/689/10050689.html
posted by あがさ at 05:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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