2014年05月18日

天安門事件 メモ 天安門事件は中国版フランス革命だった

1989年6月4日 天安門事件
天安門事件は中国版フランス革命だった

1989年4月15日、中国共産党の胡耀邦元総書記(こようほう、Fu Yaobang)が心筋梗塞で亡くなり、翌16日、胡氏を追悼するために北京市内の学生たちが天安門広場に集まりました。胡氏は、言論の自由を含む、中国の政治・経済の改革派として知られていたからです。胡氏の追悼集会はまもなく、中国の民主化を求める動きとなって拡大していきました。公務員の汚職を非難し、政治・経済の改革を求める学生たちは一般市民にも広く支持され、天安門広場には10万人を超す人びとが集結し、地方都市に広がっていきました。政府とデモに参加する市民との緊張は高まり、5月20日、戒厳令が発令されました。

6月3日の夜、民主化を求めるデモ隊を排除するため、重装備の部隊と数百の装甲車が北京市内に入りました。部隊はデモ参加者や見物人に向かって手当り次第、あるいは意図的に銃を乱射し、子どもや老人を含む非武装の市民数百人が殺害されました。さらに、動けなくなった市民が装甲車によって轢き殺されました。軍が北京市内を制圧したその後数日のうちに、兵士らによって即決で銃殺された者もいました。

同年6月末に中国政府が発表した公式報告書によると、3000人以上の市民が負傷し、36人の学生を含む200人以上が死亡しました。正確な数字は明らかではありませんが、さらに多くの人が殺害され、軍の介入によるデモ鎮圧後、中国全土で数万人が逮捕されたと推測しています。

拘束された市民の多くは警察や軍によって拷問を受けました。その中には、刑務所に送られた後も拷問され続け、身体と精神に長期の後遺症が残った人もいました。また、デモに加わったとして死刑判決を受け数日のうちに処刑された人もいます。多数の市民が不公正な裁判によって、長期の懲役刑を言い渡されました。
http://www.amnesty.or.jp/human-rights/region/asia/china/tenanmon_1989.html
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天安門事件記念館が開館、香港 反対派が抗議行動(04/26 20:36、04/26 21:02 更新)
26日、香港にオープンした天安門事件の記念館前で抗議行動をする反対派団体と監視する警官 26日、香港にオープンした天安門事件の記念館前で抗議行動をする反対派団体と監視する警官

 【香港共同】香港中心部のビルで26日、中国当局が学生らによる民主化運動を武力弾圧した天安門事件(1989年6月4日)の当時の写真などを展示する「六四記念館」が正式オープンし、一般公開が始まった。
 一方、記念館前の道路では、学生らが兵士を殺したとして、記念館は「事件の真相を隠している」などと主張する反対派団体のメンバー約20人が抗議行動を実施。記念館側と激しく口論し、数十人の警官が出動する騒ぎになった。
 抗議行動に加わった男性は「記念館は、支持者から寄付金を集めるために一部の情報しか公開せず、事件の全てを伝えていない」と批判した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/international/535861.html?rss
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観覧注意 中国共産党による人民大虐殺 四六天安門事件(保守速報)
http://hosyusokuhou.jp/archives/37365271.html?p=4


天安門広場に集まる市民1989年.jpg
天安門広場に集まる市民1989年

戦車の前に立つ民主化を求める市民 1989年.jpg
戦車の前に立つ民主化を求める市民1989年
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2013年12月19日

南京事件当時の南京の写真 2

日の丸の腕章をつけ、通りで野菜を販売する南京市民.jpg
日の丸の腕章をつけ、通りで野菜を販売する南京市民(1937.12.15 南京占領の2日後) 疫病防止のため南京市民に予防措置を施す日本の衛生兵.jpg
疫病防止のため南京市民に予防措置を施す日本の衛生兵
(南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影 朝日グラフ 1938.1.19刊) 日本兵から菓子をもらって喜ぶ南京の家族.jpg
日本兵から菓子をもらって喜ぶ南京の家族
(1937.12.20撮影 朝日版支那事変画報1938.1.27刊)

南京事件関係の写真の真偽を検証する本を見ていたら、面白い話が出てた。

反日謝罪活動をしている、元日本兵中国帰還者連絡会(中帰連)の本に
掲載されていた、南京の建物の前に並んで写る、足を切断し、松葉杖を
ついた中国兵10名ほどの写真。いっしょに腕章をした日本兵も並んで写っている。

中帰連の解説では「日本軍に足を切断され、逃げられなくされた中国兵」。

ところが、この写真の原板が新聞社で見つかり、写真にしたところ驚くべきことが・・・・
写真の中国兵の背後の建物には大きく「衛生隊」の文字があったのに、
中帰連の本ではこの「衛生隊」の文字が意図的に消されていたのだ。

実際は、「日本軍衛生隊」に治療を受ける中国兵だったわけだ。
これが中帰連の正体というわけだ。

これまで本名で南京大虐殺を証言をした者は、ことごとく嘘であったことが確認されている

□ 東史郎   
一番有名な捏造者。 原本が存在しない創作をバラまいた。 中国は未だに真実扱い。

□ 中山重夫  
戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが、場所と時間がコロコロ変わったので嘘がばれた。

□ 富永博道  
当時は学生だったのに、自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。 経歴照会で嘘判明。

□ 舟橋照吉  
東の懺悔屋成功に便乗し日記を捏造。 仮想戦記な内容であっさり×。

□ 曾根一夫  
野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵下士官だと経歴と日記を捏造。 経歴照会で嘘判明。

□ 田所耕三  
強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。
後に捏造を告白。

□ 太田壽男  
死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記 ( 捏造物の数々と違い、原本が確認できる )
により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった。

□ 富沢孝夫  
海軍の暗号兵で、「 松井軍司令官の虐殺をいましめる暗号を傍受・解読した 」 と証言。
だが海軍の彼が陸軍の暗号を解読するのは不可能で、しかも証言日時に松井司令官は
蘇州で入院。

□ 上羽武一郎  
「 上官命令で強姦虐殺放火 」 と証言。 
が彼は後方担架運びの衛生兵で、命令が出たとの史料もない。

このように、偽証言 ・ 偽手記 ・ 改竄記録が多く出回っている。
以下は、検証を受けるまでは堂々と真実として喧伝されていた、偽記録等の特徴。

■ 原本が確認できない。 実物を絶対見せない。

■ なぜか南京戦前後だけ詳細に記録。 
しかも矛盾点や他の一次史料との乖離が異常に多い。

■ 記録者証言者本人の経歴が実際と違う。

■ 「 日本や日本軍は懺悔しろ! 」 と糾弾するが、
自身は償いに私財を投じることはなく、出版や講演で儲けている。

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【貴重写真】『南京大虐殺』は捏造だった!…南京の本当の写真
http://www.hoshusokuhou.com/archives/34972823.html


posted by あがさ at 02:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

南京事件当時の南京の写真 1

南京 日本兵の入場を歓迎する南京市民.jpg
中国兵たちの悪行に辟易していた南京市民たちは、日本軍の入城を歓声をもって迎えた。
これは日本軍の入城式の日(1937年12月17日)に、食糧やタバコの配給を受け、
歓声をもって迎える南京市民ら。市民がつけている日の丸の腕章は、民間人に化けた
中国兵ではないことを証明するために、日本軍が南京市民全員に配ったものである
(毎日版支那事変画報 1938.1.11発行)
南京市民に食糧等を配る日本兵たち。(イギリス系新聞.jpg
南京市民に食糧等を配る日本兵たち。(イギリス系新聞
「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」1937.12.24付 南京占領の11日後)
南京市民と楽しく会話する日本兵ら.jpg
南京市民と楽しく会話する日本兵ら
(1937.12.20撮影 南京占領の7日後 支那事変写真全集1938年刊)
日本軍による南京占領5日目の朝日新聞.jpg
日本軍による南京占領5日目の朝日新聞
(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手製の日の丸の腕章をして笑っている。
(朝日新聞 1937.12.18付)
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm南京の病http://agasatea.up.seesaa.net/image/E58D97E4BAACE381AEE79785E999A2E381AEE4B8ADE59BBDE8B2A0E582B7E585B5E381A8E79C8BE8ADB7E38199E3828BE697A5E69CACE585B5-thumbnail2.jpg?1387388778096院の中国負傷兵と看護する日本兵.jpg
南京の病院の中国負傷兵と看護する日本兵
(ノースチャイナ・デイリー・ニュース 1937.12.18付 南京占領の5日後)
中国負傷兵を看護する日本の衛生兵.jpg
中国負傷兵を看護する日本の衛生兵
(南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影 朝日版支那事変画報1938.1.27刊)
posted by あがさ at 02:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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